橋をとおして見たアメリカとイギリス 古屋 信明 著 |
あとがきから
1973年に学校を卒業して本州四国連絡橋公団に採用されて以来,25年間,海峡を渡る長大吊橋の設計・施工計画検討,ときには現場で実際の工事,あるいは本社や中間組織である局での間接的な仕事などに携わってきた. 本四連絡橋には,10の吊橋をはじめとして海を渡る長大橋がたくさんあるが,その中で私が今まで密度濃くかかわることのできた橋は,建設では大鳴門橋,(1985年完成,中央スパン876m)と明石海峡大橋(1998年,1,991m),管理では瀬戸大橋(1988年,最大橋は1,100m)である.さらにこの間,アメリカ留学(1年余)や国際協力事業団を経由したインドネシアへの派遣(2年間),あるいは国際会議出席などのための何回かの海外出張の機会も与えていただいた.これらの橋たちに重ね,また外国の街に,新しいことを勉強しながら思い出を作り,人生の旅(結婚・子供たちの誕生と成長・父親との別れ)もここまで歩いてきた.橋の勉強に関しては,より大きな橋・より技術的にむずかしい橋へと道は続き,逆行することがなかった. さて,本文中に紹介してきたとおり,長大橋の設計や建設ではアメリカやイギリスが先輩であり,私がその道を歩き始めたときには圧倒的な師ですらあった.したがって,そのころは欧米の橋を紹介した文献をよく読んだものである.そして,その技術面と同じぐらいに興味を持ったのが,長大橋を建設するに至った社会的背景や時代の心意気,とでも言うべきものである. 科学の原理原則に国境はないが,何かを具体的な形に作り上げようとする場合には,その国々・時代時代の精神が色濃く反映されるものだ.つまり技術には国境がある,とそれ以来考えている.そのような「もわっとした」もの・いくつかの橋の歴史的雰囲気を,二次的資料に基づいて描写することしかできないが,前述の思い出も下絵にしながらいつか本にしてみたいものだ,と思い続けてきた.そして今回,橋の愛好者がアメリカやイギリスに出かけるときのガイドブックぐらいにはなるであろうと,建設図書さんにお願いして出版していただくことにした. しかし,この種の本は,原典に立ち返って学問的に考証し,論を積み重ねていくのとは違って,いわば書き散らしが可能だから,小著が世に問えるレベルであるのかと実は危惧している.この本は私個人には,1996年暮れの失意からのカタルシスでもある. 表紙カバーのデザイン・章扉のカットは,本四公団の仲間のひとりでもある栗野純孝君にお願いした.彼の優れたセンスにより,この本の印象がずいぶん高められた.心からお礼を申し上げる. なお,本書は月刊誌「舗装」Vol.25,No.5からVol.26,No.9までに掲載された「講座・舗装の維持修繕」を再編集し,収録したものである. 1998年3月明石海峡大橋の完成1か月前の,その神戸にて 古屋 信明 |
>詳 細 目 次 |
〔フロンティアの終焉を見た橋〕
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